沖縄旅行記④

2月23日(金)

この日は丸1日ゆっくりしようと初めから決めていた。

ゲストハウスにいる犬と散歩したり、近くにある「わんさか大浦パーク」でマングローブの遊歩道を歩いたり、帰りに通った集落のおばあと立ち話したりとまさに理想の沖縄時間を過ごした。

この辺りは過疎化、高齢化の進む集落で、近くにあった学校もなくなってしまっている。少し離れたところにカヌチャリゾートのホテルがあり、広大なゴルフ場がある。(辺野古にいる機動隊はここに泊まっているらしい、、、)

明日は沖縄最終日。どこに行こうか考えながら、正直「辺野古はもういいかな」と思っていた。行ったことには行ったし、あとは楽しいことをして終わりたいという気持ちだった。しかしゲストハウスのある瀬嵩から那覇へ戻るのに辺野古は通り道だし、なにしろ交通の便が悪いから一旦辺野古まで出てしまった方が楽ではある。次いつ来れるかは未定なのだからせっかくなら辺野古で多くの時間を過ごそうと思い、翌日はバスの時間まで辺野古にいることにした。

その日は偶然にも前日辺野古で会ったミュージャンの方が泊まりに来られたため、翌日辺野古へ行くメンバーは私を入れて3人になりとても心強かった。

 

2月24日(土)

4日間お世話になったゲストハウスの宿主にお礼を述べ、3人で辺野古へ向かった。ミュージャンの方はまだ滞在されるらしく、22日から共に行動していた女性は那覇に戻られるということで辺野古から一緒に那覇まで帰ることになった。

辺野古に着いたのは8時すぎ。すでにゲート前で待機しておられる方がいたので挨拶し、テントに荷物を置きに行ってから私たちも座り込みに行った。

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土曜日は搬入の回数が少ないことが多く、この日も9時の搬入はなかった。ゲート前に座り込んでこの日の集会が始まった。この日は元那覇市議会議員の衆議院議員や、琉球国際大学の先生でアメリカから日本に帰化したという男性も座り込みに来られておりそれぞれお話をされていた。搬入はなかったが護岸工事は着々と進められているため、辺野古の浜にあるテントに移動して抗議活動をすることになった。

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(2日目の21日に連れてきてもらったのと同じ場所。)

 

この時も工事中の沖に向かって抗議のカヌーが出て活動しているらしかった。フェンスの向こうで動くクレーンに向かって、シュプレヒコールが始まる。

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(金網から覗いた先に見える新基地の工事現場)

 

機動隊による強制排除などはないため比較的平穏な抗議活動だったが、私の頭には先日見た光景がありありと蘇った。呼びかけている内容はほとんど同じだからだ。辺野古にいる間に仲良くなったAさんという男性が近くにいたので、その人にこの光景を見てどう感じたかを話しているうちにまた涙が止まらなくなった。Aさんは泣き続ける私にずっと優しく話しかけてくれた。

Aさんは一風変わった見た目をしていて、抗議の仕方も他とは少し違っていた。前回あまり述べられていなかったが、抗議側は機動隊や警備員に抗議するだけではなく、工事車両に向かっても「違法工事に加担するのをやめろ」と訴えている。Aさんはいきなり「出ていけー!」と言うのではなくまず対話することが大事だと考え、ゲート前にできたダンプの列の方へ1人で歩いていきダンプの運転手に1人1人挨拶をして回っている。そうすると運転手の人と自然と仲良くなり、本音も聞けるという。

米軍基地を作るために雇われているのは沖縄の地元の工事業者だ。工事に加担する人の中にも、今の政権に不満を持つ人や本当はこの仕事をやりたくない人もいる。同じくらいの給料をもらえるなら別の仕事をしたいと考える人もいる。みんな犠牲者なのだ。そのような話を、Aさんだから知ることができた視点で私に話してくれた。このような人が辺野古にいたのは私にとってとても安心できることだった。誰もが(仕方なしにではあるが)見ず知らずの人を憎もうとしているのではないということを知れたからだ。

気づけばあっという間に時間は過ぎ、バスに乗らなければならない時間になった。私はAさんと別れ、ゲート前の人々に何度もお礼を言い、「また来ます」と約束してバスに乗った。

 

那覇まで行く路線バスに乗りながら、辺野古での出来事を思い出していた。Aさんはマザーテレサが言ったという言葉を教えてくれた。

「愛の反対は憎しみではなく、無関心だ」ということだ。辺野古で抗議をする人々は米軍基地建設に加担する人々を憎んでいるし、それに対して右翼の人々は抗議側を憎んでいる。だが憎しみの感情を持っている以上は「無関心」ではないから、愛に近いというのである。なにかの意思を表現するためには喜怒哀楽で示さなければならず、その中では「怒」はあまり良くないけれど、「無関心」よりかは「怒」を表現した方がいい。

この言葉を聞いて私の今回の旅が全て報われるような気がした。少しでも関心を持って現地に足を運んだことにはちゃんと意味があったと思うことができた。そして私が伝えたいのはそういうことだ。

こうして私の初めての沖縄1人旅は幕を閉じた。

 

このブログを読んだ人が戦争や米軍基地に対して賛成だとか反対だとかは、私にとってあまり大きな問題ではない。それよりもこのことをなにも知らない人に少しでも関心を持ってもらいたいと思っている。特に私と同世代の若い人が関心を持つことが必要である。だからこの旅行で学んだことを文章にまとめようと思った。

どうか少しでも多くの人に届きますように。

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