沖縄旅行記②-沖縄戦とその後

2月21日(水)

結局前の晩は浅い眠りで3時間ほどしか寝れなかった気がする。まだ薄暗いうちからゲストハウスを出発し目星を付けていた朝ごはん屋さんに向かうと、臨時休業。相変わらず絶好調だなとぶつぶつ言いながら、コンビニのパンを買い駅のベンチで食べた。

この日は沖縄平和ネットワークの方と、その方が琉球大学で教えている学生さん数人に、沖縄戦の戦跡と米軍基地を案内してもらうことになっていた。1ヶ月ほど前から連絡をとり相談に乗ってもらっていたが、見ず知らずの学生にここまで対応してくれたこの方々には感謝しかない。

南風原陸軍病院壕に行きたいと言ったらまさかの休館日。今思えばこの日はある意味ツイていた。。

それでも外側から見るだけでもということで連れていってもらった。

 

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南風原陸軍病院壕は南風原町にある黄金森という小高い森に作られた陸軍病院壕で、院長、軍医、衛生兵、看護婦、ひめゆり学徒隊がここに配属され、傷病兵の看護にあたった。

南風原は司令部のある首里の後方にあり、交通と物流の要所だったため陸軍病院が置かれた。泥岩(手で簡単に割れるくらいにもろい)を掘ってできた壕でとても崩れやすく、現在中に入れるのは第二外科の20号壕しかない。

 

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(20号壕。この日は中に入れず)

 

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(「飯上げの道」ひめゆり学徒がふもとの集落で炊事をした食事を壕まで運んだ道。銃撃や砲弾をくぐり抜け山道を登るのは危険と隣り合わせで、途中で亡くなったひめゆり学徒も多い。)

 

後に戦況の悪化から病院は移動し、病院関係者や学徒隊、動ける患者たちは南へ南へと撤退していく。現在の「ひめゆりの塔」がある方面である。

現在は崩れて埋もれ地形が変わってしまったが、当時はもっと下まで続いていたという「飯上げの道」を歩きながら、この決して楽とは言えない山道を砲弾の中私よりも若い女学生たちが登ったと思うと、胸が締めつけられるようだった。

 

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移動して糸数城址へ。ここは琉球王朝成立以前の権力者の城(グスク)といわれている。

ここの近くに10年ほど前までは大きな壕があったということで、突如始まった壕探し。以前の沖縄では軍や民間人の使った壕がそこら中に残っていたという。結局壕は見つからなかった。

 

再び移動して嘉数高台公園へ。

1945年3月26日、米軍が慶良間諸島に上陸し沖縄戦が始まり、4月1日には本島中部西海岸の渡具知(とぐち)に上陸した。嘉数は米軍の首里への侵攻を食い止めるための砦として陣地が置かれた。

 

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(嘉数にある「トーチカ」。元は正方形をしていたが1角が攻撃により崩れている。下半分が地中に潜っていて、出入口から中に入って2箇所ある銃眼から射撃したと考えられる。)

(2枚目は外から銃眼を覗いた様子)

 

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(陣地壕。トーチカの後方で、米軍の進路と反対向きに入口がある。)

 

この公園には軍関連施設の跡や石碑のほかに展望台があり、そこからは米軍海兵隊普天間飛行場が見える。

 

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(住宅地に囲まれた普天間飛行場。奥に少し見える海岸線の向こうが、沖縄戦で米軍が上陸した場所。)

 

この日は戦闘機の着陸が多く、私たちがいる間に2回も見ることができた。本土にいるとまず聞くことのない、ものすごい轟音だった。

 

市街地に飛行場を作る場合、滑走路から900mまでは利用禁止エリアで建物を建てることができず、4.5kmまでは事故危険区域として住宅や学校などがあってはいけないという米国内での基準がある。しかし普天間飛行場では、米軍の基地なのにそれが採用されていない。また普天間飛行場の航空機による墜落事故が後を絶たず大きな問題となっている。

普天間飛行場はこれらの危険性の除去を目的とした移設計画が進められているのだが、移設先の辺野古にあるキャンプ・シュワブではそれに反対する運動もあり近年問題になっている。

嘉数にいると戦中も戦後も米軍に影響を受ける沖縄の姿を同時に見ることができた。

 

次の場所へ移動する途中にオスプレイが空を飛んでいるのにも遭遇した。

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ガマに入りたいという私の希望から、次にチヂフチャーガマへ向かった。

ガマとは沖縄にある琉球石灰岩でできた自然洞窟のことで、 沖縄戦時には壕として多くの人が避難した。ここは貝塚遺跡でもあるらしい(だから大っぴらに戦跡巡りで来たらダメなんだとか、、、ごにょごにょ)。

 

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中はとにかく広い。今も茶碗のかけらなど戦時中のものが地面に落ちている。ただ戦後のものも多く混ざっているらしい。

スマホのライトをすべて消すと辺りは真っ暗になる。この中でロウソクの灯りのみで生活していた人がいたと思うと、その過酷さを感じる。この中にいると、何かわからないが外とは違う空気を感じる。ここで亡くなった人も当然いただろう。

しばらくすると地上のほうから轟音のようなものが聞こえた。航空機の音か普通の自動車が通る音かはわからないが、ガマの中にいてもこれだけの音が聞こえるとなると、戦闘中ここに逃げ込んだ人々の感じた恐怖は計り知れない。

このようなガマは今も沖縄中にたくさん存在している。

 

最後に向かったのは辺野古。私が次の日訪れるための下見を兼ねて連れていってもらった。

 

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エメラルドグリーンの海と砂浜(天気と写真の映り具合で綺麗さが全然伝わらない 笑)、その向こうで行われている埋め立て工事。

 

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立ち入り禁止の金網には工事反対のフラッグなどがたくさん貼られている。海岸近くにはテント村があり、2004年4月から座り込みが行われている。

この日はなぜか3台のヘリが辺野古の上空をぐるぐると飛び続けていた。

 

海岸から辺野古の集落を通ってキャンプ・シュワブのゲート前へ向かった。一般の方が今も住んでいる集落のため写真は撮っていないが、米軍キャンプの近くにある歓楽街として賑わっていたという面影がいくつも残っていた。横文字のバーが建ち並び、たまにすれ違う人もアメリカ人が多かった。

ここに住んでいる人々は辺野古基地問題について何も言わない、というか言えないのだという。基地のおかげで街が潤っていた時代もあれば、今も基地の恩恵で生活できている人もいる。そんな状況下においては反対だと大声で言うことはできないだろう。

 

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(キャンプ・シュワブ)

 

もう夕方だったためゲート前に抗議の人たちの姿はなく、ゲート前のテントで生活し24時間体制で監視する人たちのみだった。時々ヘリ同士でぶつかるのではないかと思うくらい接近して飛んでいるヘリたちを見ていると、「昼ごろからずっとだ」とテントにいた方に言われた。

私が明日ここに来ることを話し挨拶をしておいた。

 

同行していた学生さんと話をしていると、彼らも辺野古への移設は反対だが、基地で働いている友人もいるので一概には言えずとても難しいと話していた。

沖縄平和ネットワークの方が言っていたことでとても驚いたのが、日米合同委員会とその土地の地主の許可があれば米軍基地はどこにでも(沖縄関係なく)作れるということである。しかも軍用地主になると米軍に土地を貸しているということになるのでかなりの収入が得られるのだ。(おまけにそれは日本が払っていて全部税金…)

何が言いたいかというと、「米軍基地はどこにでも簡単に作れる」ということである。お金がもらえるならいいや と考えるか、騒音と事故の危険性に脅かされ、戦争が起こればそこから兵士を送り出す場所が自分の土地に存在することになる と考えるか、、、

 

辺野古問題の難しさを改めて考えさせられた。さらにこのことは翌日にも実感することとなる。

 

ありがたいことに宿まで送り届けていただき、その日の行程は終了。情報量の多さに頭がパンク寸前。

それでも確実に「沖縄まで来てよかった」と感じる1日だった。来てみないと体感できないことだらけだった。

 

残りの日程を過ごすゲストハウス着いてからも勉強になる話ばかり飛び出したが、それはまた書けたら書くことにする、、、_(:3」 ∠ )_

 

 

つづく。

(この調子で全日程終わるのか恐ろしくなってきた、、、)